うん、録ってるよ

ねえ、昨日の音、録ってある? → いや、録ってない/うん、録ってある。(「ない」は「ある」の反対)
ねえ、この音、いま録ってる? → いや、録ってない/うん、録ってる。(いない、いる、の「い」が省略されている)

[文末に追記あり]

先日、バンド練習が終わったときのこと。
そのタイミングを見計らってか、その日に来られなかったメンバーからメールが届いた。

「今日の練習、録音した? 聴きたいです」

練習後の一杯を飲みながら、仲間がそれに返信しようとしていた。

「『うん、録ってるよ』って送るよ」

んー? それだとまるで、まだ練習しているみたい。
録ってるよ、って、今まさに録音している、っていうことだもんなあ。
とっくにいつもの練習時間は過ぎているんだから、そんなメールを受け取ったら、相手は不思議に思うよ。

と、思った私は、「うん、録ったよ」にしとけば? と、つっこんだ。
つっこみながら「なんでだろ?」と心の中で首をひねった。

どうして、今録っているわけでもないのに「録ってるよ」なんて文を書くんだろう?
今日はいつもよりながぁーく練習しているなんて思わせて、欠席メンバーを不安にさせたい、ってわけでもないだろうにね?
単なるまちがいかもしれないけど、まちがいにはまちがいの理由がある。
すべての言葉選びには理由がある。
と、私はつねづね、思ってる。

で、それから十日以上経った今日、別のメールを書いていて、ハッと気がついた。

あの「録ってるよ」は、「録ってあるよ」の略のつもりだったんだ!

「録ってあるよ」の略に「録ってるよ」は、私だったら使わない。
「録ってるよ」は「録っているよ」の略として使う。
その区別は、上の囲みの中にあるようなこと。
「こぐれさん、締め切り過ぎてますけど、原稿、やってありますか?」
「うん、やってるよ」
 これでは、原稿は確実に、できていない。今、やってます。やってあってほしいのに。

まあ、そんな、略しかたに関わることだったのか。
仲間は、「うん、録ってあるよ」と返事したかったんだ。
「録ったよ」よりも、「録ってあるよ」のほうが、
「練習を休んだきみのために録っておいた」という含みがある可能性を感じさせて、あたたかい。
それが、休んだことを心配している人への、思いやり。
そのときには見抜けなかった、優しい意図がわかって、ホッとする。

本当に「きみのために」録ったのかどうかは、また、別の話だけどね!

すべての言葉選びには、理由がある。
1文字の選びかたにさえ、その人の心や、生きてきた歴史がひそんでいる。
必ずしもこわいものではないけれど、気になる相手のことなら、それも気になる。
そういうもんだと思ってる。

[追記]

言葉の短縮についての感覚は、地域によってもだいぶちがう、という、ご指摘をいただきました。
この話の相手のルーツは神奈川~東京で、私とほぼ同じ。だから言葉についても、同じ感覚を持っているだろ、と決めつけているところが私にはあるのかも、と考えさせられました。
実際には、たとえ県内でも地域の差で言葉がちがったりすることは、ありますよね。それに、世代間の差もありそう。日常会話で使う言葉としては、どれが正しくどれがまちがっているとは決められません。
とはいえ、個々の言葉の世界を尊重するあまり、その境界の向こう側へ意図を伝える努力をしないなら、コミュニケーションの道具としての言葉は生きてこないし……。
そこらへんは、常に語られ続けている普遍的な問題なように思います。
同時に、その境界の向こう側の意図をくみ取る、感じ取る能力もまた、大切なものだと痛感します。

ということで、「これは間違い」という先入観を極力、排除するように努め、手を加えます。
どこまで公平になれるか、わからないけれど……
ありがとうございます!