3月11日14時46分の自分を思い出しておく

 あの日、私は知人の本を作る打ち合わせをしに、勝どきに行った。
 約束の時間の20分以上前についた。まずは腹ごしらえをするつもりで、地下鉄駅から地上に出る。

 地上に出ると、そこは新しいビジネス街。舗装も高層ビルも、何もかも新しい。
 そのあと起こることとは、とくに関係がないだろうけれど、奇妙なこととして覚えているのは、その美しい舗装の中で、数枚のタイルが割れて浮いていたこと。目に付いたのは、子供達がいじって遊んでいたからかもしれない。

 見回すと、交差点の向かいのビルに、何か手軽に食べられる店がありそうだ。
 4車線ほどあったか、広い道路を渡って、向かい側につく。辺りの様子を見ようと歩き出すが、すぐにその価値はなさそうだと気がついた。交差点から離れたら、探しているような店はほとんどないように見える。
 そこで、きびすを返した。

 そのとき、異変に気がついた。
 となりに停まっているバスが、ギッシギッシと揺れている。
 映画などにしばしばある、車の中でヤッちゃっているカップルを外から眺めるシーンを思い出す。ギッシギッシ……エロい。
 しかし待て。それ、バスだから。中でだれかが揺すっているとか、あり得ないから。
 揺れているのは、地面だった。

 交差点には、あまり人がいない。
 広い道路。まっすぐな道。それをビッシリと囲んでいるビルが、ゆすられている。
 街灯も揺れている。
 どこかに動いたほうがいいのだろうか。もしかして、ビルの近くにいると、割れたガラスが降ってくるかもしれない。
 離れたほうが――。

 と、見ると、車道は自動車でいっぱい。何事もないかのように、走行を続けている。車道には出られないのだ。
 とりあえず、交差点の角の、歩道のはしに歩く。揺れているが、歩行はできた。
 そこで信号が変わり、車列は停止する。まだ揺れている。ガラスは落ちてこない。どこまで大きくなるのか? 車道に出ることよりも、立ち止まって身体を支え、様子を見ることに集中する。
 すぐ近くにバイクが停止していて、ドライバーと目が合った。
「すごいですね……」「でかいねこれ」
 そんな会話を交わしたかもしれない。
 ところが、そのときに信号が再び変わる。
 車列は動きだし、バイクも停止しているわけにはいかず、走り出す。
 車列は停まれないのだ。不思議な気がした。歩行者には逃げ場がない。
 幸運にも、周囲のビルにガラスの破損はなかったらしく、物が降ってくる気配もなかったから、混乱は生じなかったが――。

 揺れは収まってきた。それでも、周囲のビルは、ゆったりとしなり続けている。
 気が落ち着いてきて、それを動画で撮影したり、周囲の人と会話したりした。
 何が起きたのか、わかっているようで、わかっていなかった。
 向かい側に渡る。
 ビルを見上げる。周囲に混乱はない。
 携帯電話が鳴る。降雨を予測するアプリだ。
 すぐに、サーッと雨が降った。
 小さな雲はすぐに行き過ぎ、元の、薄い日光の差す曇りの日に戻る。

 ――打ち合わせはどうなる?
 電話は通じないだろうと思ったのか、試したのか、覚えていない。
 そうだ、空腹だったんだ。
 もう一度、交差点を渡る。
 向かいのビル1階、ドトールに入る。

 店内には、さっきの地震より前からいたであろう客が、まだいる。
 いくらかの電灯が消えているようだったが、店内は正常だ。
 カウンターで、若い店員に声をかける。
「すごかったね」
「すごかったですね」
「大丈夫なの?」
「ええ、やってます」
「じゃ、ミラノサンドCとブレンド」
 ちょっと驚かれた気もする。その顔を見て、自分でも、ああそうか、と驚いた。
 今から考えると、自分でも信じられないことのようにも思うが、揺れがいったん収まって私が最初にしたことは、食べることだった。

 食べながら、何が起きたのか、と考えた。
 打ち合わせはできるのかな、とも、考えた。
 Twitterを使って情報を得ようとしたけれども、まだ震源すらもつかめなかった。
 何が起こったにせよ、今、ここで問題なく食べられるのなら食べておいたほうがいい、という考えにだけはあった。そして我が胃は、正常に食べ物を受け付けたのだった。
 その後、エレベーター停止のため目的のオフィスへは着けないことがわかり、単独行動で交通機関の混乱を確認し、実家の安否を調べ、そして東北の津波の恐ろしいニュース映像を新橋の交差点で目の当たりにし、夜中を迎えることになったと思えば、まあそれで良かったのだろうと思う。

 とはいえ、今から結論すれば、あの夜の東京で、飢える心配はなかった。
 あの夜、真っ暗な被災地で、寒さと闘いながら朝を待った人たちのことを思えば、東京の帰宅困難者の話など、ほとんどは気楽な冒険譚に過ぎない。
 それでも、あの長い夜は、なんだったんだろうと今でも思う。

 次々とおそろしいニュースが入り、ひっきりなしに地震速報のいびつなチャイムが鳴った、あの夜は。
 知らない人からもらったチョコレートの甘さで、短い眠りを味わった、あの夜は。
 あの夜に思ったことは、なんだったんだろう。
 夜明けまで絶望せずに自分を保つ責任を、個々人がそれぞれの場で、それぞれの難度で背負わされた、あの夜。 
 予告もなく襲い来た重責に、心が傷ついた。
 それぞれの大きさ、小ささ、深さの傷に、意味はあるのか。それらが交わることはできるのか。
 今も社会の何かをそれが、傷ついたことを気付いてもらえなかった子供のように、無自覚に動かしてはいないか。

 単独行動で、とはいえ、午後から夜にかけて、多くの人に声をかけた。
 ひと言、ふた言でも、言葉をかければ、ほとんどの人が快く返してくれた。情報を交換し、ワンセグを見せてもらったり、携帯の充電用ケーブルを貸したりした。
 そこで出会った人の銀座の事務所に、朝までお世話になったのは、また別の長い話。